facethemusic (過去ログ)

20040421-20070301。音楽問題を中心に記載したはてなダイアリー、【facethemusic】の移行、その記録。

JASRAC等の要望に対するYouTubeの回答

(ふっかつ!れしのお探しモノげっき『JASRACらの要望に対して、YouTubeからの回答は?』経由)
以下、記事より引用。

動画共有サイトYouTube」に対して、日本の著作権団体やテレビ局などが連名で、著作権侵害行為の事前防止策などを要請していた件について、YouTube側から15日付で回答があったことがわかった。要請に対して、前向きに検討する意向を示す内容だという。

(中略)

 これに対してYouTubeから、FAXで回答があった。まず、抜本的な解決策については、YouTubeの上級社員が来日し、解決に向けて話し合う意向を示しており、そのための時間的猶予を求めているという。

 暫定措置については、まず1)について、「日本語版を表示する用意がある」と回答。ただし、この「日本語版」という表現が、日本語による注意文のことを意味するのか、それともYouTubeの日本語版サイトという意味なのかという点までは、現段階では確認がとれていない。2)については、アップロードユーザーの登録時に特別な用件は求めていないが、改善を検討するとの回答だったという。一方、3)については、従来通り、著作権侵害を繰り返したアカウントについては無効化するとの回答だったとしている。

日本語版を用意したところで魅力的なコンテンツになる可能性は限りなく低いものと思われます。YouTubeがあれだけの地位に上り詰めた背景を考えれば、時間的(いつでも過去の分を見られる)・地域的(放送外地域でも東京放送の翌日には見られる)な差を埋めるアーカイブが、全く改善を考慮されない現行著作権の名の下にすべてを悪として切り落とす権利者団体の存在に因って切り落とされ、結果として日本版YouTubeのみが空虚なものになり、世界的に遅れをとってしまいかねません。仮に日本語版ではなく日本語での注意表示となった場合でも、日本は著作権で遅れを取っていることの世界への悪しきアピールとしかなりえないように思います。
(著作権の侵害自体に諸手を挙げて賛成、というわけではありません。YouTubeの存在を認め、ネット時代の著作権のあり方を考えようとすることのない権利者団体に疑問を抱いている、というスタンスです)

 このほか、YouTubeからの回答では、著作権侵害コンテンツの削除ツールについても言及されているという。この削除ツールは、著作権団体やテレビ局などの権利者向けに提供しているもので、削除の手続きが簡易化される。YouTubeでは、まだ導入していない団体に対しても提供する用意があると述べているという。

(記事より引用) 削除のツールが権利者団体に渡されることに正直、恐怖を抱いています。著作権侵害かどうか怪しいものはすべて悪として処分する可能性が否定できません。これまでの権利者団体の動きを見れば、削除ツールを利用してすべて処分、という動きが現実に行われそうな気がするのですが。

音楽業界にきちんとしたジャーナリズムを戻すべく - オリコンの"言論封殺"を許すな

事件の詳細等は上記リンク先をご参照ください。

うがった見方をすれば、オリコンが今回、一個人を訴訟にて糾弾(言論封殺と言っても過言ではない)、それも自らの疑惑をなんら払拭せぬまま…というのは、ある種その疑惑は真実だったと認めているようなものではないでしょうか。後ろめたい気持ちを払拭すべく悪行を続けるか責任を転嫁するという姿勢に捉えられても仕方ないでしょう。

オリコンのチャート操作の問題(これは自身も以前から思っていました)等もありますが、まずは

みんなができることは簡単だ。このことをリアルの社会で話のネタにしたり、ふざけるなと憤ってネット上で「今こんなことが起きているんだよ」と広めてくれるだけでいい。それが大きなうねりになれば、オリコンだって態度を軟化させざるを得なくなる。

(音楽配信メモ『オリコンが自分たちに都合の悪い記事を書いたジャーナリストを潰すべく高額訴訟を起こす』より一部引用)
この問題を声をあげて非難すべきです。
言論封殺という邪道を許したら、津田さんがいうように、『こういう訴訟がまかりとおるようになったら、音楽業界に「ジャーナリズム」とか「自浄作用」なんてものは今後一切生まれない』(記事より一部引用)となってしまいます。

三菱ふそう事件 無罪の一因になった"報告要求"、担当者の問題は

一方、弁護側は「部下からの報告や専門家の意見で、ハブ破損はユーザー側の整備不良などが原因と信じていた」と反論。報告要求についても「正式な書面などはなく、行政指導による任意調査だった」として無罪を主張していた。

小島裕史裁判官は「国土交通大臣の報告要求が存在したとは認められない」として、3被告と法人としての同社にいずれも無罪(求刑はそれぞれ罰金20万円)を言い渡した。

(いずれも記事より引用)
報告要求の(正式)書面が存在しない、国土交通大臣の報告要求がないことが被告無罪を決めた一要因になっています。被害者の悲しさや怒りは察するに余りあります。欠陥隠しを追及しないままに死を生ませたことについて、国土交通大臣を罪に問うべきではと考えます。

"国民会議シンポジウム"アンケートについて

はてなIDを持っている方限定のようです(誤っていましたら申し訳ありません)が、広く意見を聞くという意味においてこのアンケートは大きいと思われます。

国民会議HPにて第2部パネルディスカッションのストリーミング動画がアップされています。


アンケート等への参考、とは性質がやや異なるかもしれませんが、このようなものもあります。

"国民会議シンポジウム"終了、意見分析と"次に大切な事"

国民会議シンポジウムが11日に行われました。関係者の皆様、お疲れ様でした、そしてきちんとした意見交換の場を設けてくださったことに感謝いたします。

賛成派と反対派において、感情的か冷静か、主観的か客観的・分析に基づいてか、はっきりしたと思います。
時間の都合により個人的な感想は避けますが、記事中の

零士さんはこの意見に対して「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」と反論した。

この発言は、そばやうどんは作品としても継承できず、作品としても認められないということだとしたら、そばやうどんを作っている者への明らかな侮辱であり、彼らに対して謝罪すべきです。

さて、ここで、今回のシンポジウムを踏まえて、次に必要なことを挙げている記事を紹介させていただきます。

主戦場は、文化庁の官僚による国会議員の先生方へのプレゼン・レクチャーにどう対抗するかということです。

 A4、3枚の資料と、数分の説明で、文化庁の官僚のプレゼン・レクチャーに対抗できるように、今から準備しておくことが必要なのです。

(中略)

 そして、必要なのは「同志に良く共感される」ものではなく、「中立ないしやや向こうより」の心を動かすプレゼン・レクチャーなのです。

(以上、引用)
以前、輸入権問題で、法改正に至ったのが"日本での海賊盤普及"という言葉だったはずで、その言葉が(たとえ海賊盤は大げさ・嘘に近いとはいえ)いかに政治家を動かしたかを肝に銘じねばなりません。専門分野への知識に長けていても専門外分野への知識は普通であり、だからこそ分かり易い言葉で動かすプレゼン効果が絶大なのですね。

銀河鉄道の夜を"尊敬する"中島みゆき、"尊敬の念"に疑問を抱く松本零士 両氏の発言

2007年1月号の表紙モデル、中島みゆき氏が持っている本。宮沢賢治銀河鉄道の夜』について。

宮沢賢治による短篇童話。大正末期に執筆が始まり、昭和初期にかけ、推敲が繰り返されたが、完成には至らなかった。主人公の少年ジョバンニが夜空を渡る銀河鉄道に乗り、白鳥停車場など幻想的な世界を旅する内容。親友カムパネルラとの別れなど、無常や儚さにも通じる、作者の死生観も著されている。
「2004年に初演し、06年に再演した夜会『24時着0時発』(再演時は『24時着00時発』)の土台になった物語ですから。私にとっての『銀河鉄道の夜』を、宮沢さんにお手紙申し上げたのがあの芝居というか。かっこつけて言うなら、“宮沢賢治に捧ぐ”ってところですかね」。『24時着00時発』は、原作にはない鮭が大きな役割を果たす。

(WEBダ・ヴィンチより抜粋)
インタビューを読んでいないため言及は避けますが(おそらくインタヴューからの一部要約ではないでしょうか)、『銀河鉄道の夜』をモチーフにした物語の執筆に関して、同著への尊敬の思いが伝わってきます。


その一方で、盗作問題で渦中の松本零士氏の発言。
2004年9月17日の著作権フォーラムでの内容です。
(記事を教えてくださったTontonさんに感謝申し上げます)

孫子の世界まで自分の著作物を守りたいというのが心情だ」と述べ、そのためにも現行著作権法では「作者の死後50年」となっている保護期間を「本音は死後120年ぐらいにいっぺんに延ばしてくれればいいが、そんな無茶は言えないので、まずは速やかに死後75年に延ばして欲しい」と主張した。

また松本氏は、「自分が描いたマンガの中で自分が苦労して編み出した言葉、いわば『創作造語』とでも言うべきものが簡単に盗用されてしまう」「というより、現在はそれの盗用を著作権法上防止する規制がないの江、盗用という意識すらない」と語った上で「このような『創作造語』についても早急に著作権で保護するような制度を整備して欲しい」とも主張していた。

(以上、記事より抜粋)
松本氏の『銀河鉄道999』は『銀河鉄道の夜』に少なからず刺激を受けて創作されたのではないのでしょうか。それを、まるで自らが編み出した"創作造語"として、土台である『銀河鉄道の夜』を踏まえずにあたかも我が物扱いとしているのは、(失礼を承知で書きますが)厚顔無恥と言わざるを得ません。
発言を行ったのが著作権啓蒙という意義の内容においてゆえにこのような"権利者として著作権を守るべき"という意味合いをより強くしたのかもしれませんが、少なくとも上記の発言には、創作の土台となった『銀河鉄道の夜』を、宮沢賢治氏を尊敬している、という思いは感じられません(尊敬の念があれば、"創作造語"などという言葉は用いないでしょう)。
(おそらくはこのような松本氏の意識、概念が"槇原氏を盗作として声高に叫んだ"事件につながっているのでしょう)
尊敬の念を感じさせてくれない松本氏。作家として以前の問題として、失礼ではないでしょうか。

ちなみに記事には松本氏の他の発言や一部権利者の発言でも、"破壊的行為"などという過度な発言がみられます。客観的な状況分析、冷静な態度が見られない"著作権の保護期間を延長せよ"という意見は納得がいきません。国民会議のディスカッションにおいて、賛成・反対の意見を聞き、冷静且つ客観的に、そして広い視野で考えているのはどちらの立場の方か、を見極めることも重要でしょう。

結局国が天下りを認める姿勢が悪政の根本 - 「天下り」斡旋全廃提言に閣僚が反発

経済財政諮問会議では、公務員制度改革を進める一環として、日本経団連の御手洗会長ら民間議員が、中央省庁による国家公務員の天下りのあっ旋を「利益誘導の背景だ」として、全面的に禁止するよう提言しました。

 これに対して、閣僚からは「国力が落ちる」「官僚がやる気をなくす」などと反発が相次ぎ、平行線をたどりました。

 また、通常は諮問会議に出席する官僚のトップ、的場・官房副長官が7日の会議には出席しませんでした。

(記事より抜粋)
以前JASRACと天下りに関する記事を記載しましたが、天下り自体が少なくとも音楽業界における現在の文化庁JASRACという、著作権の見直し等を図る意思のない機関を作り出しているにも関わらず、それら現状を憂いもせず"やる気をなくす"と反発するのは納得できません。そもそもこれまで、音楽問題におけるやる気(改善する気概)のなさを見せているわけですが、それさえ"まだやる気がある"状態、ということなのでしょうか。
同時に、的場順三官房副長官の欠席理由を厳しく問い詰めるべきです。欠席が提言の拒否に結びつくのであれば尚更です。『悪い事案、嫌な事案を出来るだけ早く情報伝達する』というプロフィールでの信条欄を読むにつけ哀しい思いに駆られます。